坂本龍馬とは?

坂本家と北海道



坂本家と北海道

坂本 直(1842- 1898)

坂本龍馬の姉の一人で千鶴の息子である高松太郎を後に坂本直に改名、後継者のない坂本龍馬の養子にして、龍馬を初代とする坂本家の家督を継ぎました。

坂本直は、龍馬とともに亀山社中や海援隊の中心人物の一人として活躍し明治維新後、北海道(蝦夷地)に渡り箱館五稜郭で箱館裁判所に勤務しました。
1869(明治2)年には箱館戦争にも従軍しています。

坂本直寛(1853-1911)

旧名:高松南海男は坂本直の弟。つまり坂本龍馬の甥にあたります。坂本直寛は坂本家5代目です。
坂本龍馬の意思を継いだといえるのが彼でした。1895年に坂本直寛が中心となって、高知県で有名な移民団「北光社(ほっこうしゃ)」を設立しました。
1897年5月に家族など約100戸を連れて北見の訓子府原野へ入り、開拓をしました。現在その名残が、「北光社農場本部跡」「坂本直寛顕彰碑」に残されています。今はもうないですが、故郷銀河線の北光社駅はその移民団の名前から付けられたものです。北光社は北見市の発展に大きく貢献しました。

坂本直寛・坂本直衛

1893年、高知県から武市安哉らが浦臼町札的(さってき)に移住して聖園農場を創設しました。そんな浦臼の地に坂本直寛がやってきたのは北見入植の前の1896年。
北見開拓の協力を求めて同じ高知県を故郷とする聖園農場の人々のところへ立ち寄りました。

1897年に北見に到着した北光社の中心人物だった坂本直寛は、北見の農場開拓主導を1年ほどで切り上げて、妻と4人の子供を連れて浦臼聖園農場に再びやってきて農場を継承しました。1902年に布教活動を行うため旭川にも行き、1911年に札幌市内で死去しました。

1899年、坂本龍馬の養子の坂本直の妻である留(とめ)と長男坂本直衛が、坂本直が死去したことに伴って、高知から浦臼の坂本直寛のもとに移住してきました。

浦臼町の「坂本龍馬家の墓」(1917年建立)は、この2人の墓です。

「坂本直寛屋敷跡」が浦臼町内にはあります。

坂本直行(1906-1982)

坂本龍馬の養子である坂本直寛の息子は山岳画家でした。
通称「ちょっこう」とも読みます。

釧路で生まれた坂本家8代目当主です。北大農学部入学後に、1936年から広尾町に移住して、十勝の大自然を描いていました。1965年からは札幌市に住んでいました。中札内村には「坂本直行記念館」があり、北海道のお土産を代表する菓子メーカー「六花亭」の包装紙のデザインは、彼の作品です。

こんなふうに、坂本龍馬とは縁がある北海道なのです。今現在も一族の一部は北海道に在住しています。

坂本家家計図